神武公養館とは?

  昭和47年創立、当初は法要寺の御支援により同寺境内にて指導を創め、昭和57年より鴻巣市立総合体育館にて練習を行っています。

昭和57年に鴻巣市空手道連盟に加入、昭和62年にはスポーツ少年団に加入し、全日本ジュニア連盟や都大会をはじめ各大会に出場、又、他流派団体との交流を図り、技術の偏重なきよう留意し視野の拡大に勤めています。

琉球神武拳少林流空手道

  軽妙さと心身練磨の理想的内容を誇る当流は、明治38年に[少林流空手道 神武拳法]として神武幹拳聖 花城長茂により創始され、90余年の流史に恵まれ、伝統を守りつつも流派を超越した国際空手道を念頭に新しい理想を尊重し、近年まで続く流派です。

流祖 花城長茂

神武拳少林流宗家紹介及び沿革

 開祖  神武 幹(花城長茂・1869~1945)

1905年 北派少林拳、シャム拳を首里手に導入加味、道理的に体系化し[少林流神武拳法]を創始、約14年間 神武幹 を道名とした。

県立中学校(現首里高)で体育として糸洲安恒のもと空手を指導。

首里手が体育的偏重傾向にある現状を懸念し、本質的価値の確守の為‘神武拳法‘として形成するに至った。

同年指導書‘空手組手‘の中で初めて‘空手‘の文字を使用。

1936年 沖縄空手座談会開催

1937年 空手基本形制定に貢献

糸洲安恒の流れを汲み、千歳強直、新垣安吉、金城裕、神武哲二、島袋善良等を指導

本部朝勇、本部朝基、富名腰義珍、摩文仁賢和、知花朝信、屋部拳通等同門同志。

 二代目  神武 哲二(1894~1957)

明治37年に初代宗家に師事

明治43年に富名腰義珍(松濤館) 大正8年に知花朝信(小林流)に師事

昭和5年少林流神武拳法第二代目継承

万能性体育理論家であり、後の神武拳少林流の型に大きな影響を与えた人物

騎馬立ち、鷺立ち、後屈立ち、猫足立ち、四股立ち、三戦立ち、逆前屈立ち等、多種多様な立ち方を有し緩急を尊び 多彩な技を少林流が得意とするのも、二代目の主椀によるものである。

 三代目  神武 徹三(1909~1996)

大正5年 神武哲二に師事

昭和2年に大城信玄(尚礼館) 昭和10年に摩文仁賢和(糸東流)に師事

昭和22年 神武哲二に再師事 翌昭和23年に知花朝信(小林流)に師事

昭和29年 少林流神武拳法第三代目継承

神武拳少林流空手道 命名

 

 四代目  神武 毅平(岩坪 毅・1942~)

昭和28年 敬天塾 入門

昭和33年 名越文洋(神武流)に師事

昭和37年 岩田万蔵(糸東流)に師事

昭和38年 神武徹三(少林流)に師事

昭和41年 開門

昭和44年 神武少林館創設

昭和45年 神武徹三に再師事

昭和53年 伊藤幹之(泊親会)に師事

平成6年 神武拳少林流第四代目継承

全琉連/範士八段 泊親会/範士八段 全実連/範士八段 糸東流/師範七段